マラゲーニャ el jardín de venus

年末に行った「マヌエルのカンテコンサート」の余談です。

 

 

カンテを聴く時はいつも、歌詞をなるべく聴き取るよう集中しています。スペイン人にとっては当たり前のことが、日本人にとっては大きな壁です。フラメンコの歌詞のテーマは、日時のとりとめもないことから、愛・憎・死、まで様々で、その意味が必ずしも演じるアーティストに影響を与えるとは限りませんが、聴く人によっては深く心に刺さることはまちがいないです。

 

そしてそれが表現として現れた瞬間、観ている側も心を打たれたりします。

 

 

マヌエルのソロは、malagueña(マラゲーニャ)から始まりました。リズムなしの曲で、カンテの一節ごとにギターが応え、まるで会話のように進んでいきます。

いちばん始めに歌った歌詞がこちら。

 

 

Yo entré en el jardín de venus

Y fui a buscar la flor que amaba

Y me encontré con mi madre

Que era la que yo buscaba

Y la que me quita a mí las penas

 

私はヴィーナスの庭に入り

愛でていた花を探した

そして母に会った

彼女こそ私が探していた花だ

私の悲しみを取り去ってくれる人

 

 

歌いながら、マヌエルが上を見ているのが気になりました。

でも歌詞が進むうち「お母さんのことを思い出してるんだ」と気が付きました。(ヴィーナスの庭というのが天国を指す比喩かどうか確証はありませんが...)この詞は母親を懐かしむ歌のように見えます。

歌の中盤~後半にかけて、マヌエルのquejío(ケヒーオ、フラメンコの歌唱技のひとつ。慟哭のように声を震わせる)が強烈に突き刺さりました。歌の意味も合わせて聴いていると、本当に泣いているかのようでした。

 

歌い終わると、天に向けてbeso(キス)を贈っていました。

 

フラメンコをinterpretar(表現する、歌でも踊りでもギターでも)する際に、たまに垣間見えるこういった感情移入はステキだなと思います。ただ、彼らの言葉で、彼らの生活のことを歌った詩なので、それを外国人が理解するというのはすごく難しくもあります。経験が足りない分は、勉強ですね。

 

 

マヌエルとは今週土曜日、11日に共演です。(ライブ情報

 

 

最後に、エンリケ・モレンテの歌うマラゲーニャを。

こちらはmi madre(母)の代わりにlis morena(ユリ)になっています。