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マヌエルのカンテコンサート

歌い手、マヌエル・デ・ラ・マレーナのコンサートを聴きに、西日暮里アルハムブラに行ってきました。

 

題名は"50 años de cante"。カンテ人生50年、的な。マヌエルは60歳前後だった気がします。歌い始めたのは10歳そこそこでも、ヒターノの家族の中で、生まれたときからフラメンコに囲まれて育ったマヌエルおじちゃん。キャリアというか、彼の人生そのものがフラメンコな人です。

 

ヘレス出身だけれども、マレーナ家はレブリーハととても縁が深いと聞いたことがあります。ヘレスはカディス県、レブリーハはセビージャ県ですがとても近いので昔からヒターノたちの行き来があったそうです。

 

 

そんな、フラメンコ界の宝みたいな人が日本に住んでるなんて。もはや当たり前みたいに思っちゃってますが。奇跡のようです。

 

 

一曲目のマラゲーニャから、トリハダものでした。マヌエルのquejío(ケヒーオ、フラメンコの歌い方)が本当に泣いてるように見えて。ああ、これが「語るように歌う」ってことかなと。(実際マヌエルはひとつめの歌をお母さんに捧げてました。また今度改めて書きたいと思います)50年、60年の人生を歩んできたマヌエルだからこそのinterpretación(表現)なのだと思いました。

 

 

これは誰もが言うことですが、マヌエルって、日本に何年住んでても変わらないね、って。ここにはヘレスのようなフィエスタの文化もないし、どうしたってフラメンコ=ビジネスになります。ビジネス感覚が強くなりすぎて芸風が影響を受けちゃうスペイン人だっています。でも、マヌエルは変わらないんです、それが凄い。

 

昔、マヌエルに訊いたことがあります。「日本人のギタリストが伴奏に付くときに歌いづらいとか思ったりするの?」(決して日本人の伴奏を批判しているわけではなく・・・)するとマヌエルは「俺はもう自分のカンテを持ってるから、あとは伴奏者の問題だ。Si sabe acompañarme o no.(その人が俺のカンテに寄り添えるかどうかだ)」と答えてくれました。なんだか私の予想の斜め上を行くカッコイイ回答でした。きっと誰とやっても、どこに住んでても、マヌエル・デ・ラ・マレーナ

は揺らぐことはないのでしょう。

 

 

この日の伴奏はエミリオ・マジャ。

お互いをcompadreと呼び合う、付き合いの長い二人。ぴったりと息が合っていました。

 

 

マヌエルも、エミリオも、もう5年くらいは日本に住んでるでしょうか。きっと私も含め、たくさんの日本人にとっていちばん馴染みのあるスペイン人アーティストだと思います。

でも、こんなに長くお世話になってきて私は初めてマヌエルのカンテソロを聴きました。いつも自分たちが歌ってもらうばかり。フラメンコ界の宝がこんなに近くにいるのに、もったいないことをしているなあ、とつくづく思いました。フラメンコは、何よりもカンテ。カンテを聴くことが真の楽しみです。

日本ではまだまだ、フラメンコ=踊りのイメージですが、カンテのコンサートなんかも、もっともっと増えればいいなあと思いました。

 

 

 

 

最後に、マヌエルのお兄さん、アントニオ・マレーナの動画。

お母さんに抱っこされてる赤ちゃんが、マヌエルらしいです(笑)