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コピー

スペイン人に習っていると、みんな同じことを言うな、って思うことがよくあります。

 

そのひとつが、ただコピーするなってこと。どんなに振り付けを上手にコピーできたとしても、no eres TÚ(それは君自身じゃない)。何だか哲学じみたことを言うなあと、思います。だって何かを学ぶことはマネから始まると思うから。

 

たとえばクラスで先生が踊ってみせてくれる、そのひと振りが、とてつもなくカッコイイ→すごく好き→マネしたい!が、学ぶ上でのすごいモチベーションだと思います。私も早くあれができるようになりたい→練習する→できない→また見る、マネする→まだできない…の無限ループに、私はいると思ってます。

 

そんな中で「コピーではダメ」とか言われると、急に突き放されたような気になります(というかコピーできる時点ですごいと思っちゃう)。しかも、まだコピーすら出来てない段階で言われても、じゃあ、どうすればっていう経験が何度もあります。

 

 

ということを、ふと考えることが最近ありました。スペイン人って、当たり前のことを熱弁してくるけど、実はそういうことほど最も重要で、それなのに忘れられがちだったりします。コピーはダメって言われてるのに、私はユーチューブにかじりついてアンヘリータ・バルガスとかファルーコの踊りをコピーしようとしちゃうんです。というか、偉人たちの動画は見るべし、学ぶべし、というのは共通の教えだったりするし。あれ、矛盾してる。

 

今まで深く考えたりしてこなかったけど(←コラッ✋ツッコミ)きっと「コピーではダメ」の解釈がとても重要なんだと思います。決してマネするのがダメとは言われないから。そうじゃないと学校がある意味もないし。歌もギターも踊りも、好きな人ほど他人の技を盗んで学んでると思う。良いものほどみんなにマネされ後世に受け継がれていってるわけですしね。

 

 

じゃあ完コピじゃないマネってなんだろうと、なってきました。いよいよ頭が痛い。振り付けを、最初から最後までマネしないで、オリジナルを入れろってこと?その場のインスピレーションで、即興で踊れってこと?

 

 

きっと、そこまで小難しくもないんだと思います。とここでもうひとつの頻出ワードが頭に浮かびます。それが「sentir」。

 

 

sentirとは、「感じる」こと。sentimiento「感情」もクラスでは頻出です。これ系の言葉は本当によく言われます。「No hay que pensar, hay que sentir.(考えるな、感じろ)」「Déjate llevar.(流れに身を任せて)」

 

でも、感じるって、何を?音楽を?リズムを?

感情ってどういうことだろう。ソレアは、苦しそうに、アレグリアスは、楽しく笑顔で?

 

 

こんなのに正解はないし個人の解釈なんだろうけど、私なりの答えがあるとしたら、それは着飾った「偽物」を捨てろってことなんじゃないでしょうか。自分の中の「本物」を出せと。

 

感じるままに踊れって、決して、その場で思いつくがまま踊れということではないと思う。それではただの暴走。ソレアだから、私、つらい顔してますって、それはただの演技。

 

 

きっと、機械のように振り付けを再生するのではなく、そこに自分のsentimientoを乗せて表現してみろよということなんだと思う。ソレアだから、つらい顔、ではなく、ソレアの歌なり旋律なりを聴いて感情が揺さぶられた結果がその顔なんじゃないでしょうか。コンパスを、歌を聴いて、ああ、今だ、って、ジャマーダがかけたくなる。カンテのquejíoに、バイレも呼応する。しっかりと相手の存在を感じて、自分もアピールする。そのやりとりこそが、フラメンコだったりするんじゃないでしょうか。きっと振り付けを完璧に踊り通すことは彼らからしたらフラメンコじゃない。

 

 

 

なぜフラメンコがこんなにも豊かなアルテ(芸術)なのか教えてやろうか。人間だからさ。人間は、感じ方がみんなちがうんだ。

 

 

 

スペイン人って、どうしてこうも恥ずかしいセリフをさらっと言えちゃうんでしょうか。日本語に訳すと、ただのカッコつけおじさん、でも生で聞くとカッコイイ。そっか!と妙に納得する。(そしてすぐ忘れる笑)

 

 

スペインにいる時とか、帰ってきてすぐは、踊っていて普段とはちがう感覚がする。よく「スペインの空気を吸ってきたから」とか言うけどあながち気のせいでもない、気がする。きれいな空と街並みに癒やされるし、いいフラメンコいっぱい観て聴けるし、当たり前のことを何十回も飽きずに言ってくれる先生がいるからでしょうか。こういう環境が感受性を豊かにするというか、ドアをコンコンとされたら、ハーイとすぐに出られる準備が心の中でされてる、気がする。変な例えだけど。

 

 

一人で練習していると、あーして、こうして、ここはこう埋めて、完璧にやらなきゃ!って考えが先行して。考えすぎてしまいます。日本は忙しすぎて、フラメンコを観たり聴いたり、いちいち感動することが減りますし。扉の中の住人も、奥の方に隠れてしまうような。

本当に大事なことを、ついつい見失いそうになります。

 

 

コツコツ勉強も大事だけど、心を豊かにすることで超えられる壁もある...のかもしれない。