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【セビージャ留学記】フラメンコと、寛容の文化

セビージャに来てから3週間ほどが経ちました。

 

信じられないほど濃密な時間を過ごしています。

コンチャ・バルガス、ペペ・トーレス、ルイス・ペーニャ...素晴らしすぎるマエストロたちがこの街には存在しています。その彼らが、自らのアルテを私たちに伝授してくれようとしている。そのことが奇跡のように思えます。

 

毎回思いますが、どんなにフラメンコを好きでアルテを愛していても、彼らと同じようには到底できません。圧倒的に、生きてきたものがちがいます。

しかしそんなマエストロたちが共通して語ってくれるのは、フラメンコに対する「afición(愛情)」「respeto(尊敬)」を持っていれば必ず近づけるから、と。そこにはスペイン人も、ヒターノも、外国人も関係ない、と。

 

先日セビージャにあるlas tres mil viviendas(ヒターノたちの暮らすスラムのような場所)でのフィエスタを経験しましたが、正直そこの雰囲気を見た瞬間に愕然としました。すべてのヒターノが貧困状況に暮らすわけではないですが、やはりフラメンコのルーツがそういった貧しさ、家族・親戚の結びつきから派生することは真実であり、そのことを今さら目の当たりにしたのでした。

 

私は日本に生まれ、不自由なく暮らし、清潔な家と食事と便利な社会コミュニティの中で育ち、突然フラメンコに出会い、フラメンコに恋したと言ってはこうやってスペインまで勉強しに来るわけです。そう、私にとって「勉強」であることからして彼らとは土俵がちがうわけです。彼らにとっては日常であり、日々の楽しみであり。tres milの住人たちの、パルマが始まった瞬間に輝きだす顔が忘れられません。先日読んだマヌエラ・カラスコのインタビュー記事の中に「皆は私のことを偉大なバイラオーラと呼ぶけれど、生きるためには踊るしかなかった」との発言がありましたが、今や外国人が余暇として趣味として仕事として気軽に触れることのできるようになったフラメンコの、裏にある現実。

 

 

しかしながら、彼らはいつも受け入れてくれます。

 

 

クラスに通うマエストロたちはもちろん、tres milの住人たちだって、知らない外国人がフラメンコをすることに対してなんの怒りも違和感も持っていないのです。それどころかとても喜んでくれるのです。それまでは少し警戒心のあったヒターノたちが、コンパスが始まると笑顔になり、踊り終わるともう、「おまえはfamilia(家族)だ」と言ってくれる。初めて会った外国人に対してさえそうなんです。器が大きいと言うか、寛容の文化が、そこにはあると感じました。

 

 

フラメンコを愛し、相手を受け入れる、その単純な構図こそがフラメンコの真実なのかもしれないです。

ルイスのスタジオ。すべての人を暖かく受け入れてくれる素敵な場所です
ルイスのスタジオ。すべての人を暖かく受け入れてくれる素敵な場所です